SUDENIARU
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「ジャッジしない」ってなんだ?

最近、「ジャッジしない」という言葉について、よく考えています。

ジャッジしない、と聞くと、 何も感じないとか、何でも許すとか、 判断せずにボーッとすること、みたいに思うかもしれません。

でも、たぶんそうじゃない。

たとえば、誰かに否定的なことを言われたとする。 その瞬間に、ムカつく、悲しい、傷ついた、 なんでそんな言い方するんだ、と感じる。

これは自然なことで、感じていい。感情は出ていい。

でも、その感情の勢いのまま、 「あいつはダメな人間だ」 「自分は否定された」 「もう終わりだ」 と、意味を固定してしまう。 これがジャッジなんだと思います。

だから、僕なりに言葉にするとこうなります。

感情は受け取る。でも、感情のままに世界を決定しない。

起きたことと、自分の反応を、いったん分けて見る。

「あの人はわかってない」ではなく「あの人には、今はそう見えているんだな」。 「これは失敗だ」ではなく「これは今の時点では失敗に見えている」。 「この出来事は最悪だ」ではなく「この出来事の意味は、まだ決めなくていい」。

意味を、すぐに決めない。少し余白を残しておく。

ここで誤解したくないのは、 ジャッジしないというのは、現実逃避ではないということ。

ひどいことをされたなら、距離を取っていいし、断っていいし、 注意していいし、関係を終わらせてもいい。

ただそのときに、 「あの人は悪」「自分は正義」「だから攻撃していい」 というふうに、相手の存在そのものまで裁かない。

行動は選ぶ。でも、存在を裁かない。

これは、人だけの話じゃないなとも思っています。

「高いから悪い」「安いから良い」「大きい会社だから立派」 そんなふうに表面で決めつけず、ちゃんと実態を見る。 これも一種の、ジャッジしない、なのかもしれません。

スデニアルという言葉には「すでにあるものに感謝する」という意味を込めています。 人はつい、足りないものばかり数えてしまうけれど、 それも結局は、目の前を「足りない」とジャッジしているのかもしれない。

だから最近は、こんな問いを自分に挟むようにしています。

今、自分は事実を見ているのか。それとも、自分の感情で意味づけしているのか。

この問いを一つ挟めるだけで、 世界の見え方が、少しやわらかくなる気がしています。

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僕自身、まだ全然できていません。 気づけばすぐに「良い・悪い」を決めつけて、あとで一人で反省していることばかりです。

だからこれは、完全に、自分に向けた問いかけです。

もしあなたも、何かを決めつけそうになる瞬間があったら。 そんなとき、この言葉をそっと隣に置いておいてもらえたら、なんだか嬉しいです。

「まだ、決めなくていい」

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▼CMで聞いた時からいつも僕を奮い立たせてくれる大好きな曲。
歌詞も痺れますなぁ。

”そろそろ時間だね
私とあなたは
この腐ったおとぎ話を去り
お互いに息をしないと”