SUDENIARU
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「足るを知る」ってすごい

「足るを知る」という言葉が、最近やけに沁みます。

いま、稲盛和夫さんの経営実践塾に参加させてもらっていて、 そこで触れる稲盛塾長の言葉に、痺れました。

その中で「一升買い」という話がありました。

まとめて買えば、単価は安くなる。たくさん持っておけば、安心もできる。 経済の理屈で言えば、それはたしかに「得」なんだと思います。

でも、必要な分を、必要なときに、必要なだけ買う。 一見すると損に見えるけれど、本当にそうだろうか、と考えさせられました。

抱え込みすぎると、 どこかで持て余して、「まだあるから」と雑にもなっていく。 量や安さに引っぱられて、目の前のものへの感謝が、いつのまにか薄くなる。

そんなことが、モノにも時間にも、起きているような気がしたんですよね。

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先日の勉強会では、こんな話も印象に残りました。

塾長が京セラという会社を大きくしていく過程で、 「もっともっと」と渇望して広げていったのではなく、 「もうそろそろ、この辺でいいかな」 「もうそろそろ、いいかな」 そう思いながらやっていたら、 なぜか次から次へと、会社が広がっていった——という話です。

これが、僕にはすごく残りました。

渇望して手を伸ばして広げたのではなくて、 むしろ「もう十分かもしれない」と、足るを知りながらやっていた。 だからこそ、求められて、広がる流れになっていったのかもしれない。 そんなふうに、僕は勝手に受け取りました。

その話を聞くまで、僕は、 「足るを知る」ことと「広がっていく」ことは、 正反対のベクトルにある考え方なんだろうな、と思っていました。

満足したら、そこで止まる。 もっと欲しいと思うから、前に進む。 そういうものだと。

でも、意外とそうじゃないのかもしれない。

足るを知れるからこそ、広がっていくこともある。

十分だと思えているから、無理に奪いにいかない。 奪いにいかないから、まわりも安心して寄ってくる。 そうやって、結果的に広がっていく。

そんな流れが、あるのかもしれないなと。

うまく言葉にできないけれど、 「足りない」を原動力にしなくても、人も会社も前に進めるんだ、 という感覚が、なんだか少しありがたかった。

今、自分の手の中には、もう十分にあるのかもしれない。 そう思える瞬間を大切にしたいなぁと思います。

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▼人も曲もチーズもクセが強いのが好きなんで
羊文学も好きです笑

その中でもこの曲好きぃー
なんかあったかい未来に繋ぐ意思

”あの花が咲いたのは、
そこに種が落ちたからで
いつかまた枯れた後で種になって続いてく

あの花が落ちるとき、
その役目を知らなくても
側にいた人はきっと分かっているはずだから”